Sun, 31 Jan 2010

ゴールデンスランバー(ネタバレするよ)

ゴールデンスランバー

ベストセラー作家伊坂幸太郎氏により、空き巣、通り魔、動物虐待、殺人なんでもござれの犯罪都市に仕立てられてしまった仙台市。 そこで起きた史上まれに見る大事件、首相暗殺事件が映画の舞台。 映画は、この大事件の犯人に仕立てられた男、青柳(堺雅人)の逃亡劇として進む。

と、書いてみるとなんだかスリルとサスペンスな話に感じられるのだけれど、 逃走劇として見ると、平凡かそれ以下。 派手なカースタントや、手に汗握るアクションと呼べるものはほとんどなく、 アクションシーンを下支えするはずの刑事(永島敏行)はどこかコミカルで、 犯人と警察の「息詰まる」ほどの駆け引きもない。 さらに、犯人に仕立てられてしまった主人公に感情移入できるような材料はほとんど何も提示されない。 たとえば、主人公の恋人が殺されてしまうとか、不条理な状況にさらに不幸が襲うようなありがちな状況が、ないわけではないが、どうも薄い。

思うに、映画として首相暗殺事件は大きなマクガフィン、 つまり、主人公が窮地に陥るという設定の下支えとして、多少の説得力があればよいのであって、 とにかく無理矢理犯人にさせられるような窮地に陥り、ストーリーのなかで大々的に報道されれば、事件は市長暗殺だろとコンビニ強盗だろうとなんでもいいのだ。

むしろ、映画で繰り返し使われる、イメージという言葉を中心にしてマスコミ、警察など主人公を追い詰める集団に対し、 主人公の父(伊東四朗)の言葉を借りれば、主人公を「信じているのではなく知っている」という1点で イメージにとらわれず主人公に協力する人間が描かれる映画、というほうがピッタリくる。 そして、逃走シーン以上に多用される大学時代の回想シーンや元恋人との思い出、仕事仲間とのやりとり、マスコミに登場する父の話によって、 観客は主人公と協力者の過去を「知り」、協力者へ感情移入することができるという人情劇なのだ。

スリルとサスペンス、カタルシス、そういうものを過度に期待しないで、2時間オーバーのテンポよく流れる人情劇として観に行って、 そして、信じられると知っている人を思い浮かべて帰るのが吉。

posted at: Sun, 31 Jan 2010 00:34 [blog] permanent link/comments(1)

Mon, 11 Jan 2010

大人になるって(松尾スズキさんのインタビューから)

1/9朝日新聞朝刊のオピニオンに掲載されていた、松尾スズキさんのインタビューがとっても面白かったので、感想なぞつらつら書いてみます。

インタビューは、18歳成人案を切り口にして、松尾さんの大人感や社会批評(的)なもの。 そのなかで、まず共感というか、妙に納得したのが、次のコメント

(インタビュワー)「大人になる」って?
(松尾さん) 「そこの定義は、自分のなかでものすごく変わりました。『大人失格』を書いたころは、たとえ毎日がどんなにつまらなくても、その現実を受け入れるのが大人だと思っていました。当時、30代前半で、常に『面白いか面白くないか』を問い、面白くないと、息が詰まりそうになって、面白いものに逃げてた。そんな自分を、まだまだ未熟だと考えていた」

僕はその30代前半で、同じように『面白いか面白くないか』を問う、という姿勢をとってしまうが多いです。この仕事面白いかな?面白くないな、面白い生活したいな、そんな感じ。 たしかにつまらないと息が詰まる。実はもっとつまらない仕事をしていたはずの20代より、息の詰まり方がずっと強烈になったと感じます。 だから、周囲を見回して、つらい仕事もこなし、家庭ではよき父、母なんていう人をみると「大人だなー」(=すごいなー)って尊敬してしまいます。

そうそう、たぶん、大人っていうのは尊敬の対象なんだとおもいます。

インタビューの次はこうです。

(インタビューワー)今の「大人感」はどうでしょう。
(松尾さん)「世の中にここまで希望がなくなって、豊かさもない、つまらないじゃ、ホントに、つまらなくなっちゃう。今の大人はむしろ『つまらない』といわない人だ。どうしようもない状況においても、自分の中に『面白い』といえる価値を作りえた人が大人、と思えてきた」(中略)「周りが面白がるものが生み出せれば、つらさも面白さに還元される」

なるほど。苦虫をつぶしたような顔で日常をやりこなすぐらいなら、面白さをみつけたり、たとえ自虐的になったとしても周りを面白がらせるほうがいいのかもしれない。 あんまり自虐的なのもつらいから、ふりぐらいにとどめたいけれど。

30代前半の僕は、心のどこかで「面白さ」が所与のものだと思っちゃっているんだろう。 辛い仕事も楽しいところが結構ある、面白さが与えられるものではないっていうのは、今まで何度も経験したはずなんだけれど、ついどこか忘れてしまうのか、 まだ『面白い』といえる価値が作られてないのかもしれない。

そしてインタビューの後半、お笑いの話になって

「(中略)今の日本はあまりもコミュニケーション重視。特にテレビのバラエティーとかは、空気を読む能力を極限までに求められる」

たしかにそう。ちょっと外したコメントをすると「あーぁ(残念)」っていう反応。期待通りのコメントで、期待通りの計算された笑い。ヒネリだって想定内。

勝手な考えなんだけれど、空気を読んだり、期待通りの結果って、子供が好きなんだよね。 子供って無意識に空気読むし、おもちゃが動いてくれないと怒ったりするし。 子供が成長して少し自我がでてくると意識的に空気を読み始めて、さらに大人になると「コミュニケーション能力」ってことでトレーニングしないといけなくなる。

空気を読むってのは、自我のぶつかりあいを避ける処世術の一方で、結局自分の価値観、面白いものを作るのを遅らせる、子供に留まる副作用があるのかもしれないね。 仮にそれが正しいとして、空気を読まないイレギュラーな行為をどうするか、つまらない、腹立たしいと放り出すか、笑って肯定するかが松尾さん的大人の分かれ道なのかもしれない。 現実的に、空気読むなんて関係ない、とはなかなかいえないけれど、同じ空気をまとう集団やルールから外れたって面白いのはいいんじゃない、面白くしようよと言えるのは、たしかに相当大人だよね。

そういう大人めざそかな。空気読むなんてお子様のすることさ〜って。

posted at: Mon, 11 Jan 2010 22:27 [blog] permanent link/comments(3)

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