ネタバレしますよ。


どうも扱っている題材のせいか、問題作といわれていたりするようなのだが、 原作はともかく、この映画はバリバリの復讐劇をベースにしたエンターテイメント作品なのである。
青みがかった教室風景に、フォトジェニックな雲天や雨粒のスローモーションがさし込まれる映画の前半は、 まるでPVを見ているような感覚で、メランコリックな気分が刺激される。 そして、自分の記憶と変わらない黒板と教壇の風景に懐かしさを覚えると同時に、 誰のモノとわからない携帯電話と匿名メールが映し出される瞬間、現代に強く引き戻される。
そして、松たか子演じる森口の告白で判明する犯人AとB、そしてそれらを取り巻く生徒の反応は、 表面的には多少ステレオタイプでありつつ、 かつて同級生の誰かを疎ましく思った、そんな記憶に連なるもののようでもある。
結果、観客は決して劇中の人物に自己を投影することはなく、 近しい第三者として森口の復讐を受け入れ、純粋な復讐劇の幕開けに立ち会うことになるのである。
中盤、森口はスクリーンから姿を消す。 代わって何も事情を知らない熱血青年教師が悪意なく、犯人Bの家庭を追い詰める。 青年教師とともに行動するのは、事情をすべて知り、森口を慕う委員長である。 彼女の冷めた目線は、第三者としての観客の目線とそう違いはないだろう。 並行して描かれる委員長と犯人Aとの出会いは、物語唯一の明るい光と思わせるが、 第二の悲劇と森口の再登場であっさりとその道はたたれ、復讐劇はヒートアップする。
冷徹に計画された森口の復讐のトリックとフラッシュバックで構成される終盤は、 現代的な手触りではなく、むしろ往年のサスペンスの名作を思わせる心理戦で、 ちらばったピースがはまっていくような快感さえ覚える。
そして原作にはない最後の森口のセリフが、復讐劇のクライマックスであり、森口の強烈な憎しみ発露に他ならない。 最後のセリフに込められているのは、本来、教師や大人が望むべきであろうシリアルキラー犯人Aの更生ではなく、むしろ更正することなど決して許さない、永遠に追い詰める、という意思表示なのである。
このセリフにより、森口は復讐劇という虚構のなかに閉じ、現実世界の問題には何も解答を提示しないまま、映画は終わるのである。 つまり、もし、監督が映画という虚構のなかに何か問題意識を投影しているならば、最後のこのセリフは不要である。
映画を見終えた観客はほぼ無言だった。 残酷で痛快な復讐劇の感想を言うことがはばかれるのか、問題意識にさいなまれているのかわからないが、 無言の理由の一つは、おそらく、単純に映画の残酷性だけではなく、 中学生の年代の殺人をエンターテイメントとして昇華させた監督の技法である。






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