仕事で人様に見せる資料をつくるため、一つの文の解釈や、その前後のつながりを周囲の人と議論することがときどきあります。なるべく正確に、簡潔に、矛盾なく、そして読みやすい文章という矛盾する目標を抱えているので、どうしても他の人との議論も必要なわけです。そうして人と話をしていると、考える方法がみんな違うことを感じます。
文章の力点の取り方や語句から受ける印象はもちろんなのですが、そこからでてくる像(イメージ)が人それぞれなんですね。頭のなかで「映像」や「画」が浮かんでるんだろうなーという人もいれば、頭のなかに「字」や「言葉」が浮かんでだろーなーって人もいます。
3つの感覚モード(モダリティ)──視覚傾向・聴覚傾向・体感覚傾向 で紹介されている3つの傾向でいえば、視覚傾向と聴覚傾向ですね。(私の仕事場はあんまり体感傾向の人は多くない気がします。)
自分はというと、たぶん視覚傾向が強いと思います。単に細かいところを覚えていないだけなのかもしれませんが、字面や文章そのものはほとんど頭に入っていません。頭のなかで情景、もしくはブロックか積み木があるみたいな感じです。なので組み合わせが悪い話は気持ち悪い。逆に、一見おかしな話でも組み合わせが正しければOKと思ってしまいます。良いのか悪いのか?
自分を含め、視覚傾向の強い者同士の話だと、ブロックや積み木の「変換ルール」さえできればすぐに話しはまとまります。しかし変換ルールができあがるまでに時間がかかったり、ブロックや積み木の大きさが違ったりすると話がややこしくなったり、まったく通じなかったりします。
聴覚傾向っぽい人と話すと次のような苦労することが時々あります。
例えば「その話、なんか前後でずれてない?」と自分が聞くときは、ブロックがずれてるような気持ちで(「ずれている」という表現からして視覚的です)、ジェスチャーなんかも左右の手を前にだして上下にずらしたりしてます。しかし聴覚傾向の人からすると、当然ながら(視覚的に言われても)よくわからないので「(字句でいうと)どことどこ?」となります。 視覚指向の強い人のジェスチャーって聴覚傾向の人にはあんまり役に立たないこと多いかもしれません。
逆に、聴覚傾向の人に「あの文章のどこそこの前後が、これこれこういう理由でおかしい」といわれても、ぱっとは浮かばず、指摘された場所を読み返し「積み木」にしてから「あぁ、おかしいですね。」となるわけです。たぶん相手からすれば相当まどろっこしい奴だと思います。
ちなみに僕は説明文のようなものも苦手です。職場で「絵書いちゃダメかな〜」と小学生みたいなことをいったり、絵ならすぐ描いて説明できるのになぁ・・・とかブツブツ言ってます(笑)
僕みたいな人は、職場では結構てきとーな人と思われがちなんで注意しましょう(笑)
